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去年マリエンバートで / アラン・レネ監督 (1960) [感想文:映画]

 冥界へ下ったオルフェウスのように、男「X」(ジョルジュ・アルベルタッツィ)は女「A」(デルフィーヌ・セイリグ)を、そこから連れ出そうとする。「A」、すなわちエウリディケーは、忘却の河レテを渡っているので、「X」との間に起こったことを思い出さず、今や、冥界の王ハデス=「M」(サッシャ・ピエトフ)の妻となっている。その冥界とは、「一種のフランス式庭園」を持つ古めかしい広壮なホテルである。庭園の全景は幾度も提示される。直線で構成された景観が、絵画的なパースペクティヴによって強調され、気が遠くなるような広さとなっている。そこへ至る道、そこから去る道の気配が感じられない。ホテルと庭園は、この世ではないどこかに浮いているかのようである。

 このホテルには、子供や鳥などの姿が見当たらない。小さく、動き回るもの、雑音を出すもの、毛羽立った獣達が現れない。その代り、映画の後半に「A」が、鳥の羽のようなケープを身にまとうことになる。また、クライマックスには毛皮のコートに身を包まれている。これとは対照的に、「M」を含めたホテルの逗留客は、誰もが硬く冷たいシルエットに包まれている。「A」が逃げ去る炎のように体を捻じ曲げるのに対し、直立し、しばしば動きを止めて凍りついた彫像になってしまう。逗留客たちの関係はすべて不明だが、ただ「M」と「A」の夫婦関係だけが明示されている。逗留客ではないが別にもう一組、語られる関係があって、それは庭園に置かれている石の彫像である。シャルル三世とその妻の彫像だ。石と石の関係が夫婦関係というわけだ。

 「M」はホテルの遊戯室で、数取りゲームのようなゲームを仕掛ける。そのゲームは、負けることがあるかもしれないのに必ず「M」が勝つ。それは「死」と人間のゲームだ。人は「死」を出し抜くことができるかもしれないと思っているが、しかし「死」は必ず勝つ。「人は死ぬ」とは同語反復に等しい真理である。そのような真理の光線は烈しい。遍く照りつけ、色彩も、陰影も、輪郭も焼き尽くす。これが映画的に表現されれば、「A」が溶ける白っぽく平坦な画面となる。また、その真理の元では、委細や褶曲や肌理はヤスリにかけられ、毛羽立ちのない「趣き」に欠けた表面になってしまう。

 さて、この真理はどうやって表されているか。「M」のゲームによって。カードや棒を置く「M」の動作によって表されている。別の物を代わりに置くことで何かを提示すること。この映画は、このことを繰り返し語っている。壁面に連なる鏡、庭園を描いた絵、「A」に迫る「X」のように女をなじる男の逗留客、「A」の写真、そして映画の筋自体がホテルの演劇場で上演される芝居で提示されている。まるで、箱の中に嵌め込まれた箱のように。映画の中のホテルの中の部屋のように。

 この、代りに置く事によって何物かを提示するに至るためには、いくつもの廊下と部屋を通り過ぎなければならない。街中から道をつたって映画館の中に入り、通路を渡って空の座席の中へ、そして四角いスクリーンの中へ。その過程で、動き回るもの、騒ぎ立てるもの=雑音は排除される。「お静かに」。この排除の行為は、裏を返せば拾い上げることであり、それは、ダンスホールで「A」が割ったガラスの破片をボーイが拾い上げるシーンによって表されている。

 排除による代置の世界は、ホテルの壁を這う植物の装飾のように、生きているその物ではない。つまり、死んだものの世界。すなわち冥界。排除による代置の世界が映画の世界であるならば、映画とは冥界に他ならない。この冥界から「X」は「A」を連れ出そうとする。必敗のゲームを司る冥界の王から引き離し、連れ去ろうとする。凍りついた彫像のシルエットの間を、祈りに似た低い声で記憶を言い募ることによって。記憶は、屈曲し、ゆらぎ、流れ、あるいは奇妙な接続をもたらす。映画の画面もまた、バロック風のホテルの中を曲がり、表面を流れ、動きと動きが唐突に接続する。その優美な足取りのような「運動」は、必敗の真理によっては説明できない。不可解な「運動」が雑音の排除された世界に乱流を巻き起こし、「A」であるデルフィーヌ・セイリグの不可解な美しさを追い求め、懇願する。そして、冷たく硬いシルエットに抗って、彼女を鳥の羽で包み、轟音をとどろかせるだろう。手を広げ、狂気じみた笑いを輝かせる美しい人妻を連れ出すために。いったい何処へ?ここに、スクリーンの向こうから、今この場所に。

 そうだ、オルフェウスとは映画を観ているこの私に他ならない。私は、信じ難い女が冥界から蘇り、現前するのを願い、信じる。そして失敗する。オルフェウスと同様に。何故なら、映画は終わってしまうから。終わらねばならないから。そこで再び私は映画の冒頭へ送り返され、何度でもこの映画を観なければならないのである。


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mistletoe

お久しぶりです。
今年もよろしくお願いします。

『去年マリエンバートで 』まったく知らない作品です。
ymine さんの解説の文字を読むだけでドキドキします。
すごく観てみたい衝動に駆られました。
羽毛、毛皮、石・・・これは五感で楽しめそうな作品ですね。
レンタルにあるでしょうか・・・早く観たいです!
by mistletoe (2008-01-18 13:51) 

ymine

> mistletoe さん、nice とこめんとありがとうございます。

週末、体調を崩して寝込んでました。ご返事が遅くなってしまいました。
今年もどうぞよろしくおねがいします。mistletoe さんのブログ、また遊びに行かせていただきますね。(^_^;)
by ymine (2008-01-21 07:25) 

モバサム41

ymineさん、「去年マリエンバートで」についてとても興味深い解釈ですね。
この映画(LD)を見たのは、コクトーの「オルフェの遺言」の後くらいだったのですが、知らずに「オルフェ」でリンクしてたわけですか。
by モバサム41 (2008-02-22 01:02) 

江戸うっどスキー

面白そうな映画ですね。難しそうだけど^^;
名前がアルファベットなのも、何か理由があるんでしょうか...
きになりますね。
by 江戸うっどスキー (2008-03-08 00:08) 

symplexus

映画を観るということの解読に驚きました!
 画面から画面への連続で構成される映画そのものの形式が
  消えること,つまりこの視界からの永遠の消滅を前提としていること,
 もっと極端に考えると,
我々の存在そのものが
 動くもの,言い換えれば
  不断の死で構成何かではないのかとか
  考えてしまいました.
by symplexus (2008-04-03 10:01) 

ヒャッフゥーーー!!!!


ホホホイ!ホホホーイ!って調子乗って八 メ ま く っ て たら通帳見て引いたし!!!!
まぁ欲しいモン買いまくってパチスロで遊んでてもすぐに貯まっちゃうからなーwwwww
セ レ ヴってホント金使い荒いと思うわwwwなんで俺みたいなのに10 マ ソとかくれんのwww

つかマジで金の使い道に困ってるんだよねwww誰かおせーてwwwヽ(´Д`;)ノ
http://envi.strowcrue.net/69s2lfy/

by ヒャッフゥーーー!!!! (2009-08-15 08:23) 

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