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「浦沢直樹の漫勉 浦沢直樹」NHK Eテレ [感想文:その他]

 浦沢直樹自身による浦沢直樹の回。「BILLY BAT」の最終回執筆現場にカメラが入り、「ネームを入れる」作業も撮影されている。
気に入らない部分がざっくりとホワイトで消される。青鉛筆に持ちかえると、それで下書きをし、ペンを入れ直す。青い線は印刷されないので、都合がよいのだそうだ。このテクニックは、漫勉で他の漫画家が披露していもの。30年以上執筆を続け、一線にいるのみならず、代表作と言える作品を生み出し得たベテランなのに、使える工夫は取り入れようとするのだ。
これを浦沢氏の貪欲と言うこともできるが、そこには漫画の持つ性質も関係しているのだろう。浦沢氏はそれを「メソッドがない」と表現している。「メソッドがない」以上、工夫の積み重ねにならざるをえない。
「メソッドがない」を定型がないと言い替えられるなら、口語によって小説を書き出した小説家たちと現代の漫画家たちを並べて論じることができるかもしれない。
 しかし、小説以上に漫画は稚く、頼り無いくせに猥雑だった。何でも口にする赤子のように、ありとあらゆる物語に範を求め、真似をし、飲み込んで成長した。その成長を担った大樹のひとつは言うまでもなく手塚治虫氏である。その後、大友克洋氏が新しい時代を開く。番組では、その大友氏と手塚氏を結ぶ「ミッシング・リンク」として坂口尚氏、村野守美氏が引かれるのが嬉しい。
 さて、「メソッドがない」表現の現場で漫画家を待ちうけるのは、白い紙だけである。この白い紙を前にした恐怖は「漫勉」でも度々語られた。その恐怖を乗り越えて描かれたイメージが成り立つのを浦沢氏は「奇跡」だと言う。「奇跡」はもう一度語られて、それは「奇跡」によって定着されたイメージが他の誰かの手に渡り、それがその人に面白がられることなのである。
逃げ去る「奇跡」を掴まえるために、浦沢氏のペンは素早く走る。あるいは、「奇跡」のある場所を求めて、手探るように何度でも描き直す。そして、読者のもとでもう一度「奇跡」が起る。それは光よりも速く、一撃のもとに現われる。それによってがらりと世界が変ることさえある。
 だがそれは、何も高尚な目的によって起されるのではない。ただ描くのが楽しいから、面白いから、ワクワクするから描かれるのだ。そして、浦沢氏は8年続いた連載の最終回を描いた直後も、次を描くことを語る。体を酷使し、磨り減らしながらも。
なんということだろう。こういう人と同時代に生きられることを幸せと言わずしてどうしようか。浦沢直樹氏の漫画を読み直す必要がある。

「浦沢直樹の漫勉 高橋ツトム」NHK Eテレ [感想文:その他]

 高橋ツトム氏の回。
ペンが速い、速い。氏自身がそれに驚く。「意識が飛んでるんだ」と浦沢氏が注釈する。浦沢氏自身がよく知ってる状態なのだろう。白い紙の上にイメージを定着させることに集中して、無我夢中なのだ。
高橋氏がそんなに集中するのは、とにかく漫画を描いていて楽しくて仕方ないからである。その楽しさの根は「たかがいたずら書き」。その延長線上で高橋氏は、楽しくて仕方ないを追求して、様々な工夫を凝らす。
 特筆すべき工夫は、コンピュータを活用することによってスクリーントーンを貼る作業を無くしてしまったことだ。まず主線を描く。その紙をクリアファイルに入れ、その上に紙を重ねて薄墨を塗る。物理的に作ったレイヤーをそれぞれコンピュータに取り込み論理的なレイヤーに変換する。薄墨のレイヤーをドットに変換して、トーン化する。コンピュータの画面上で位置合わせをしてから紙に出力する。それにベタを入れて完成させる。それまで物理的な制約から、最後にせざるを得なかったベタ塗り・スクリーントーン貼りの順番をひっくり返し、より直感的な、表現する感性の構成に近い手順に、要するに描きたい通りに変えてしまったのである。やりたい通りにやるのが楽しいから、そのために頭をひねったわけだ。
 このあたりの作業を見ていると、高橋氏は空間を層が重ねあわされた構造として捉えているように思われる。単に近景・中景・遠景として考えられているだけで、絵を描く人には当たり前のことなのかもしれないが。このことを示唆する別の例は、修正ペンをもうひとつの描画ペンとして大胆に空気の流れを描き入れる時で、氏はそれを「一番手前にある空気の流れ」と表現するのだ。
こうした、シーンの中に捨象された構造を把握するセンス、あるいは、見えている景色から感じられる情景を取り出すセンス、さらにはカッコイイもの・スゴイものを見せるセンスが氏の楽しいの骨格であるのだろう。
 しかし、高橋氏の楽しさの中味は、そのセンスの中に閉じ籠る方向にはなくて、絶えず思いがけないものに出会うこと、技と偶然がせめぎ合う境界線にあることである。それは、紙のひっかかり具合や、かすれてくれる筆ペンとして追求され、ロックのライブ感、グルーブという言葉で語られる。恐らく氏は、カオスに囲まれた偶然の上に、氏のセンスが切り取る情景が立ち上がってくること、カッコよさが生成する瞬間にこそ表現の生命があるのを知っているのだろう。
 では、高橋氏の制作過程はやり直しを捨てた即興なのかというと、それも違う。「漫勉」に登場した他の漫画家同様に、ひとつのコマのために何度も描き直す。読者が一瞬で感じる衝撃のために、惜しげもなく描いては消し、消しては描く。「漫勉」を見ていて感じるのは、プロの漫画家達の描き直す時の潔さだ。誰もみみっちく消したりしない。捨てるときは、見ているこちらが「あーっ」と声を上げるほどあっさりと消してしまう。そして彼らは、読者に与える衝撃の為に悪戦苦闘するのである。
 漫画を描いているとどんなに楽しいか語る、その楽しさのための工夫を見せる、楽しさの奥にある表現の秘密を示唆する、今描けるものを全部掛けて描けと勧める。まさに「漫勉」にふさわしい偉大な教師の回だった。ご本人は教師だとは少しも思っていないだろうけれども。

「浦沢直樹の漫勉 萩尾望都」NHK Eテレ [感想文:その他]

 漫画家の制作現場を目撃するシリーズ、第2シーズン1回目。
「少女漫画の神」と題されたのは萩尾望都氏。
 萩尾氏は、ご両親の反対を押し切って漫画家の道を進まれたそうだ。その反対が翻ったきっかけが「ゲゲゲの女房」のドラマだと言う。つい最近のことでは、と浦沢氏が驚くと、「ゲゲゲの女房」で水木しげる氏が一生懸命に漫画を描いているのを見て、娘の仕事を理解するようになったと、なんとも傑作なエピソードが語られる。
 萩尾氏の制作過程も非常に興味深いものだった。
カメラは例のごとく、漫画を描く萩尾氏の手元を凝視する。丁寧なあたり、下絵から、カリカリと刻み出すように描かれていく。そのスピードは決して速くはない。しかし、番組のサイトを見ると、浦沢氏との対談で放映されなかった部分があって、そこでは若い頃はもっと速かった、と語られている。筋力が衰えて、遅くなったそうだ。
「仕事は若いうちにししなくちゃいけない」(萩尾氏)
「漫画って筋力ですよね。若い人たちは、若い内に、みずみずしい線で、じゃんじゃん描いた方がいいよって」(浦沢氏)
「一生、その線は描けない。その線は20代の線、この線は30代の線、変わっていきますよね。」(萩尾氏)
(http://www.nhk.or.jp/manben/hagio/)
これらの言葉には漫画の線が生きていることの秘密の一端が語られているように思える。
 さて、衰えた筋力によって描かれる萩尾氏の漫画は衰えてしまったのだろうか。そんなことはない。画面に広がった絵は、艶さえ見せて、力強く、自由だ。休まず、弛まず、萩尾氏は描き続ける。手の表情ひとつに拘って、2時間も3時間も試行錯誤を繰り返す。観ている内に、どんどん言葉を失う。ずっと深いところで、より大きく揺さぶられるような感じがしてくる。
氏の代表作の一つ「ポーの一族」の原画が呈示されて、当時の印刷技術は原画に追い付いてなかった、と浦沢氏が語る。それだけでも驚きだが、萩尾氏が漫画の道を志すようになったのが、その未熟なメディアに載った先人たちの漫画だったことを思うと、深く深く心を打たれる。萩尾氏は、メディアの向う、それを超えた所にあるものを感じたのだし、自身もまた、メディアの向う、それを乗り越えることを信じて描き続けてきたのだ。その証拠に萩尾氏はこう語っている。「こういう物語の世界に、私は救われたし、とても楽しいと思う。そういった自分が感動したものを、(読者に)伝えたい。だけど、笑ったり、泣いたり、感動したりっていう、感情をゆさぶるっていうのは、非常に大変なことで、やっぱりこっちも必死でやらないと、伝わらないです。」(http://www.nhk.or.jp/manben/hagio/)
これは、奇跡だ。その奇跡は、いつも身の回りにある漫画の中に潜んでいたわけだ。萩尾氏が描く奇跡に、自分自身の読者の姿勢は釣り合っているかと反省させられる。読み飛ばし、消費するだけでは、萩尾氏の線に釣り合うわけはない。その深みに届くだけ読みとれているかを問わなければならない。
萩尾氏自身の作品と同じくらいにゆさぶられる放送だった。

「ウォッチメン」アラン・ムーア、デイブ・ギボンズ著 [感想文:その他]

石川裕人、秋友克也、沖恭一郎、海法紀光 訳
 これは、1986年から1987年にかけて出版されたアメリカのグラフィック・ノベルを翻訳したものだ。
原作は、2009年にザック・スナイダー監督によって映画化されている。映画化については、テリー・ギリアムがチャレンジして頓挫していたものをザック・スナイダーによって実現されたのだと言う。今回、映画を観てから原作を読む順番となったが、原作と映画版を比べると感心する。ぶ厚く、入り組んで、暗い苦味に充ちた物語をよくも料理して映画にしたものだと思った。結末が変更されているけれど、ザック・スナイダー版は本作を理解するための一助になるかもしれない。とは言っても、本作が難解なわけではなく、その圧倒的で、重層的な語りに眩暈を感じさせられるので、映画版で整理されたストーリーは大海を渡る櫂になり得ると思うのだ。
 この物語の背骨となるプロットは、殺人事件の謎を追うダーティな探偵ストーリーだ。そこにアメコミ(アメリカン・コミック)のヒーロー・ファンタジーが中年太りして重なり、その主軸に沿って黙示録的SFが螺旋を描き、ダークな街を背景にベトナム戦争と冷戦がレリーフとなるアメリカ現代史が苦渋を噛むシルエットを見せ、核の不安と恐怖、暴力とレイプ、挫折と後悔、憧憬と幻滅が、正義と狂気への問いかけが渦を巻くのである。しかもこれらすべてが、凝った重層的構成で語られて行く。
その構成のひとつで目につくのが、章間に挿入される様々な文章(引用、抜粋、新聞記事の切り抜き、インタビュー記事、警察の調書、精神科医のメモ等々)である。例えばそれは、マスクを被ったヒーロー(ナイトオウル)となって犯罪と戦い、引退した男が書いた自伝の抜粋である。
すなわち、物語のアメリカは、覆面を被った自警団=スーパーヒーロー達が実在する世界となっている。彼らは「悪い奴なんか、やっつけちゃえ!」という幼稚な正義感情に鼓吹され、アメコミの紙面から表通りに飛び出て大人になってしまったのである。そこで現実の網に搦め捕られ、泥に沈む。背を丸めて、ポケットに手を突っ込み、見て見ぬふりをして通り過ぎるしかない、人間の愚かさに溺れる。拳と道具で戦うスーパーヒーローは少しもスーパーではなく、卑小で滑稽な自警団として法律で禁じられてしまう。
では、サイエンス味のフィクションであるヒーロー=DR.マンハッタンはどうだろうか。絶対のスーパーパワーを持った彼は、徐々に人間味を失っていきながらも人間の愛憎に振り回される。宇宙の秘密を観照することは、一向に問題を解決しない。DR.マンハッタンの姿は丸裸の現実逃避に見えてくる。そしてそのスーパーパワーを持ってしても、核戦争の危機を押し止めることはできない。陰鬱な不安と恐怖が、コマの各所に記される。例えば、新聞の見出し、ポスターのキャッチコピー、壁の落書きなどが、近付く核戦争による破滅を囁く。
いったい、スーパーヒーローの活躍に胸躍らせた古き良き時代、子供の頃はどこへ行ってしまったのだろう。しかし、ショートケーキじみた子供時代など幻想なのだ。ロールシャッハ=ウォルター・コバックスの少年時代のように、ささくれ立った、粗暴な現実こそが追憶の真の姿なのではないか。
では、大人になればいいのか。オジマンディアス=エイドリアン・ヴェイトのように、大人になって、ビジネスの波に乗ることが正しい選択なのか。その選択の果てには、ついに成長しきれない「やっつけちゃえ!」という感情が、大人の論理を携えて、狂気の振舞いに及ぶだろう。そうして物語は、あまりにも悪い冗談でしかないカタストロフへと墜ちていくのである。
 ここに、社会の真の姿があるとは思わない。誇張され、パターン化したイメージが描かれているだけだ。
しかし「ウォッチメン」には物語の真の力が溢れている。読む者の頭を揺すぶり、地獄の劫火を思い出させてくれる。どこから齧っても、こちらの口の中は苦い味でいっぱいになる。その上この苦みには滋養などこれっぽっちもない。だが、これを読まずして何を読むのだろう。べったりとした色彩に塗られたコマの隅から隅へ、ページの端から端へ、舐めつくす視線で読み進み、歪んだ、膨張した想像力の実在を感じ、その坩堝の只中に飛び込むことこそコミックの喜びなのだ。

「パイドロス」プラトン著 藤沢令夫訳 [感想文:その他]

 「パイドロス」はプラトンによる対話篇で、紀元前370年代に書かれたもの。プラトンの活動においては中期に位置する著作である(解説 p.191)。
 時は真夏の晴れた日盛り、アテナイ郊外にあるイリソス川のほとりで、ソクラテスとパイドロスが対話する。
このパイドロスなる人物は、プラトンの他の著作(『饗宴』『プロタゴラス』)にも姿を見せ、「時代の風潮に敏感な、全般に快活で好奇心に富んだ一人のアテナイの知識人」(解説 p.189)だったようだ。
 対話の主題は弁論術についてである。弁論術は当時のアテナイにおいて花形的技芸であったらしい。「言論の自由と法のもとにおける平等をたてまえとする民主制下のアテナイでは、人は国民全体の集会である国民議会や陪審法廷の世論を動かすことによって国政を支配し、あるいは身の保全と立身をはかることができたから、そのための言論の能力」(解説 p.193)を技術として身につけることが人々の関心の的であったのだ。そして、弁論家たちは「手本となる弁論をあたえて暗記させる」(解説 p.194)ことによって弁論術を教えると標榜していた。
 しかし、その弁論家たちの弁論術は真に技術と呼べるものなのか。ソクラテス=プラトンは異議を唱える。
弁論術は「言論による一種の魂の誘導」(261A)なのだ。それが技術たり得るためには、真実の把握、本質の把握がまず前提となる。誇張や比喩などの修辞、真実らしく見せかけて、人を納得させるためだけのテクニックは、予備的知識ではあっても、技術の土台ではない。また、弁論術は魂をその対象とする以上、魂の本性の分析が必要となる。その魂の分析はデアレクティケーによって実行される。ディアレクティケー=対話術は、「多様にちらばっているものを綜観して、これをただ一つの本質的な相へとまとめる」(265D)ことと、ものごとの「いかなる部分をも、下手な肉屋のようなやり方でこわしてしまおうと試みることなく」「自然本来の文節に従って切り分ける」(255A)「分割と綜合という方法」(266b)によって行なわれなければならない。
 この弁論家・弁論術批判の枠の中に三つの話が埋め込まれている。
まず、パイドロスが持っていた高名な弁論家リュシアスの文章。それは「自分を恋している者よりも恋していない者にこそむしろ身をまかせるべきである」と主張していた。目を引く逆説的な主張だが、弁論家たちはこのような逆説でもテクニックで聞く人を納得させられる、本当らしく思わせることができる、と言っていたのだ。
こに対してソクラテスは、リュシアスの論を修辞はともかく構成に問題ありとして、修正したものを提示する。
しかし、以上二つの話がエロースの神に対する不敬虔にあたると言ってソクラテスは、「取り消しの詩(パリノーディアー)」を捧げるために第三の話を語る。それは恋する者を讃える話である。前の二つの論は恋する者の狂気が悪いということを根拠としていたのだが、第三の話は、それに対する反駁として、神より授けられた狂気からは善きもののことの中で最も偉大なものが生れてくることを出発点とする。そこから魂の三部分説や魂の転生の物語(ミュートス)が語られ、本篇の中核を成している。
 まず、神から授けられた狂気が挙げられる。予言術、占い術、そして「ムゥサの神々から授けられる神がかりと狂気」。最後のものは、詩人と詩作を襲う狂気であるわけだが、「もしひとが、技巧だけで立派な詩人になれるものと信じて、ムゥサの神々の授ける狂気にあずかることなしに、詩作の門に至るならば、その人は、自分が不完全な詩人に終わるばかりでなく、正気のなせる彼の詩も、狂気の人々の詩の前には、光をうしなって消え去ってしまうのだ。」(245A) これらの狂気と同なじものであり、しかもこよなきものとして神から授けられたのが恋の狂気だとされる。その証明は魂の本性を説き起すことから始められる。
 魂(プシューケー)は「自分で自分を動かすもの」(246A)である。生物は「内から自己自身の力で動くもの」であり、それ故、魂を持つものである。外からの力で動かされるものは魂を持たない無生物だ。自己自身を動かすものは動くことをやめず、他の動かされるものにとっての動の源泉=始原である。始原は生じることがなく、そのため滅びることがない。よって魂は不生不死である。
ここで魂は、人間だけのものとされているわけではない。生物全体、そして神々までもが魂を持つものとされている。それのみならず、宇宙の秩序を支配する動の源泉=始原として考えられている。そして魂は、魂なきものの全体を配慮するのである。
特に、神々と人間について言えば、神々は完全な翼を持った魂であり、人間は翼を欠いた魂なのだ。魂は翼を欠けば、下へと落ちて、肉体に住みつく。それ故肉体は、自分で動くように見える。
このような人間の魂は、「翼を持った一組の馬と、その手綱をとる翼を持った馭者とが、一体になってはたらく力」(246A)という似像=イメージで描かれる。この馭者が操る二頭の馬はそれぞれ性格が違い、「一頭の馬のほうは、資質も血すじも、美しく善い馬であるけれども、もう一頭のほうは、資質も血すじも、これと反対の性格であること、これらの理由によって、われわれ人間にあっては、馭者の仕事はどうしても困難となり、厄介なものとならざるをえないのである。」(246A) これが魂の三部分説だ。
さて、魂に翼があるのは高みの天界を経巡るためである。神々は天空を行進する。それは「あまたの祝福された光景、あまたの祝福された行路がある」「幸多き旅路」である。そして神々は饗宴におよぶと、「天球のはてを支える穹窿のきわまるところ」(247B)までのぼりつめ、天球の外側、天球の背面に立ち、「天の外の世界を観照する。」(247C) そこにあるのは「真の意味においてあるところの存在‐‐色なく、形なく、触れることもできず、ただ、魂のみちびき手である知性のみが観ることのできる、かの《実有》である。真実なる知識とはみな、この《実有》についての知識なのだ。」(247C) 神々の魂は、天球の運動が一回りするまで、真実在を観照し、「それによってはぐくまれ、幸福を感じる。」(247D) 真実在によって魂は《正義》そのもの、《節制》、《知識》などなどを観得する。
一方、神々以外の魂、神に倣う魂は、その馭者の頭を天外へ出して、かろうじて真実在を観得する。他の魂は、上の世界を求めはするが叶わず、「言語に絶した擾乱と抗争と辛苦の汗」に巻き込まれ、翼が折れ、疲れはてて立ち去り、「思惑(ドクサ)をもって身を養う糧とする。」(248B) その魂が、神の行進に随行して、真実在の何かを観得できている間は損なわれないが、それができないと地上に墜ちる。そして真実在をどれだけ観たかに応じた人間の種に入る。
魂は一万年経つと翼が生えてもとの場所に戻ることができる。その間、まず最初の生が終わると、魂は裁きを受ける。地下の仕置場で罰を受けるか、天上でふさわしい生を送る。それが千年。その後、次の生を選択する。この時、動物の中に入ったり、動物から人間に戻るということが起こる。そしてこれが一万年まで繰り返され、翼が生えると魂は神々の行進に預かる天上に戻ることができる。ただし、「誠心誠意、知を愛し求めた人の魂、あるいは、知を愛するこころと美しい人を恋する想いとを一つにした熱情の中に、生を送った者の魂」(249A)が、三回続けてそのような生を選ぶなら、三千年で立ち去ることができるのである。
 かくして魂は真実在をかつて見たことがあるのである。それ故、ものを知るということは、既視の真実在を想起することになる。なぜなら、知るということは、形相(エイドス)に則し、「雑多な感覚から出発して、純粋思考の働きによって総括された単一なるものへと進み行くこと」によって、真にあるところのものの知に到達することであり、それは既に、天の外の世界において見られていたものなのだ。従って、知を愛し求める人は、かつて見た天外の世界を求める人であり、そのような「知を愛し求める哲人の精神のみが翼をもつ。」(249C)「しかしそのような人は、ひとの世のあくせくとしたいとなみをはなれ、その心は神の世界の事物とともにあるから、多くの人たちから狂える者よと思われて非難される。だが神から霊感を受けているという事実のほうは、多くの人々にはわからないのである。」(249C) すなわち、神から授けられた狂気はもっとも善きものなのである。「この狂気こそは、すべての神がかりの状態のなかで、みずから狂う者にとっても、この狂気にあずかる者にとっても、もっとも善きものであり、またもっとも善きものから由来するものである、そして、美しき人たちを恋い慕う者がこの狂気にあずかるとき、その人は「恋する人」(エラステース)と呼ばれるのだ」(249E)
 《正義》や《節制》などの真実在の地上における似像はぼんやりとしかとらえられないが、《美》は、視覚という一番鋭い知覚によってとらえられるので、何よりも鮮明にかがやいてとらえられる。そこで真実在を想起した者が、「美をさながらにうつした神々しいばかりの顔だちや、肉体の姿など」(251A)の「少年にそなわる美」(251C)を目にすると、おののきに貫かれ、畏怖の情が湧き、怖れ慎みながら、異常な汗と熱を帯びる。欠けていた翼が成長しようとし、「魂の全体は、熱っぽく沸き立ち、はげしく鼓動」(251A)し、むずがゆさといら立ちを感じる。
明言されているわけではないが、ソクラテス=プラトンの言う恋は少年愛が前提とされているようである。その少年愛はまず何よりも表面の美に打たれるのだ。見目麗しい少年を恋い求める衝動が、知を求める衝動によって基礎づけられ、大掛りな宇宙論(コスモロジー)に組み込まれている。生殖活動に根を持つ異性愛は当然のように視野から落とされている。だが、価値の断絶があるわけではない。それはより低く位置づけられているだけで、天外の真実在へ至る連続性が常に意識されているように見える。現代のわれわれの身辺では少年愛の価値が違っている。時代的、文化的に相対的な価値であったということだが、プラトンの論はその連続性によって、少年愛の価値の変動を吸収するようだ。
 恋する人の魂の三つの部分のうち、悪い馬は恋する人の側へ直ちに寄って愛欲の歓びを満たそうと暴れるが、良い馬は慎みのために抵抗し、馭者はこれらをコントロールしようと悪戦苦闘する。ここで激しい葛藤と苦痛が恋する状態に起こる。
このように魂は、単一で均等な構成ではなく、衝突さえ起こす「力」の集合体と捉えられている。しかもそれは多数の要素ではなくて、三つほどの部分から成るのである。性質の良い部分も悪い部分も同じ平面にあり、真実在を観照できる部分がそれらをコントロールしようとするが、そこには常に抵抗と葛藤がついて回るのだ。もっとも善きものから由来する恋の狂気においてさえも、である。
 恋する人は相手を神とみなしつつ、崇拝し、礼拝する。「そして求める相手を手に入れたときは、自分自身も神にみならうととも、愛人にも同じようにすることを説得したり、そのための訓練をほどこしたりしながら、それぞれの力でできるかぎり、その神の生き方に従いその神の姿に近づくようにと、愛人を導いて行く」(253B) 恋される人は神のように奉仕され、もともとの天性から神に憑かれた恋する者と親しくなるようにできているので、恋する者を受け入れると、この人の価値を知るようになる。恋する者に流れ込む愛の情念、美の流れは、恋する者の内であふれ、愛人の魂に帰り、恋される者を恋で満たすようになる。
このようにして「精神のよりすぐれた部分が、二人を秩序ある生き方へ、知を愛し求める生活へとみちびくことによって」(256B)、「この世において彼らが送る生は、幸福な、調和にみちたものとなる。それは彼らが、魂の中の悪徳の温床であった部分を服従せしめ、善き力が生ずる部分はこれを自由に伸ばしてやることによって、自己自身の支配者となり、端正な人間となっているからだ。」(256B) 彼らは「この世の生を終えてからは、翼を生じて軽快に」なるだろう。「これにまさる善きものは、人間的な狂気も、神のさずける狂気も、けっして人間に対して与えることはできないのだ。」(256B)
 恋の狂気が善いものであることの証明は、知を愛し求める生活を送るべしという主張に自らなっている。なぜなら知を愛し求めることが真実在にあずかるからなのだ。この知を愛し求める人は「愛知者」(哲学者)(278A)と呼ばれる。愛知者は「ディアレクティケー」を身につけなければならない。弁論術・弁論家批判の水路は、哲学すべし、哲学者たるべしという思想へつながっているのだ。
 しかし、これは直線的に論述されていない。
中核は、物語(ミュートス)、例え話だ。そこでは、真実在の似像というイデア論、魂の三部分説、始原としての魂(プシューケー)、魂の転生が語られ、それらが神話的コスモロジーの中に織り込まれている。リュシアスの論の反駁ではあるのだが、直接的に対峙させられているのではなく、エロースの神への捧げものとして置かれている。それにそもそも全てが対話に終始する。思想を論ずるにしては手が込んでいるように見えるこの体裁は何故なのか。
それは、書かれた言葉が影でしかないからだ。書かれたものは「ものを知っている人が語る、生命をもち、魂をもった言葉」(276A)の影なのであり、「取りあつかわれている事柄について知識をもっている人にそれを思い出させるという」(275D)こと以上のことはしないのである。書かれたものが与える知恵は、「知恵の外見であって、真実の知恵ではない。」(275A)
上手く書かれていれば、書かれた言葉が「ものを語っている様子は、あたかも実際に何ごとかを考えているかのように思えるかもしれない」(275D)が、何か教えてもらうと思っても、それは「いつでもただひとつの同じ合図をするだけである。」そして、書かれた言葉はそれを理解できる人だけでなく、不適切な人のところにも届いてしまい、誤解されたり、誤用されても、それだけでは何にもできず、書いた人がどうにかしなければいけなくなる。
書かれたもののこのような限界を踏まえた上で、想起のよすがとなるような書き方は、「生命をもち、魂をもった言葉」の似像でなければならない。それが、師ソクラテスを中心人物とした対話であり、ミュートス=物語なのである。
「書かれた文字の中に何か高度の確実性と明瞭性が存すると考えて」(277D)、ものを書くようなことは恥ずべきことだ。それは影なのであり、真理の名において区別しなければならない。「正しいこと、美しいこと、善いことについて知識をもっている人」(276C)がその知識を本来の目的のために用いるときは書きとめたりしないだろう。
知識が本来の目的のために用いられるときは、「ひとがふさわしい魂を相手に得て、ディアレクティケーの技術を用いながら、その魂の中に言葉を知識とともにまいて植えつけるときのことだ。」(276E)「その言葉というのは、自分自身のみならず、これを植えつけられた人をもたすけるだけの力をもった言葉であり、また、実を結ばぬままに枯れてしまうことなく、一つの種子を含んでいて、その種子からは、また新なる言葉が新な心の中に生れ、かくてつねにそのいのちを不滅のままに保つことができるのだ。そして、このような言葉を身につけている人は、人間の身に可能なかぎりの最大の幸福を、この言葉の力によってかちうるのである。」(277A)
プラトンにおいて哲学は、ディアレクティケーの実践という行動が本態とされ、その行為は《善》という価値によって意味付けられている。そのため、哲学は最高の徳目なのであり、身体をケアするように魂を哲学によって取り扱わなければならない。そしてディアレクティケーという技術がそうであるように、正しい技術は善なる技術なのだろう。
 では、何故書くのか。「自分自身のために、また、同じ足跡を追って探究の道を進むすべての人のために、覚え書きをたくわえるということなのだ。」(276D) ものを書くということは「真剣な熱意に値するもの」(277E)ではない。「そして他方、正しきもの、美しきもの、善きものについての教えの言葉、学びのために語られる言葉、魂の中にほんとうの意味で書きこまれる言葉、ただそういう言葉の中にのみ、明瞭で、完全で、真剣な熱意に値するものがある」(278A)
 そうではあるが、それにしても、「書かれた言葉の中には、その主題が何であるにせよ、かならずや多分に慰みの要素が含まれて」(277E)いる。現にこの「パイドロス」には、蝉たちの声への言及があり、それがアテナイの郊外の陽光を想像させてくれる。また、ソクラテスとパイドロスのやり取りも何やら溌剌としている気がする。川のほとり、日盛りの木陰という、時が止まったような空気の中で語られる、神々の天界での行進は至福に満ちている。垣間見られた真実在の《美》の思い出は、強いあこがれを溢れさせる。恋する人の葛藤と喜びの描写は微に入り、ユーモラスでさえある。総じて、「パイドロス」は伸びやかで、馥郁たるものを感じさせる。これが「慰み」なら、書き手は大いにその「慰み」を楽しみながら書いたことだろうと思う。

「浦沢直樹の漫勉 さいとうたかを」NHK Eテレ [感想文:その他]

 「ゴルゴ13」のさいとうたかを氏が、自身の漫画を描く様子を録画した映像を見ながら、「20世紀少年」の浦沢直樹氏と対談する番組。このシリーズでは、かわぐちかいじ氏、山下和美氏、藤田和日郎氏も登場したらしいが、見逃した。残念。
 番組中、さいとうたかを氏がデューク東郷を描くシーンと鬼平犯科帳の鬼平を描くシーンがあるのだが、これが驚愕だった。さいとう氏は大まかなアタリをつけただけで、いきなりゴルゴの太い眉毛から描きだすのだ。鬼平もしかり。眉毛から描く漫画家は多いらしいと聞いたが、マジックペンのマッキーでぐいと描きだすのを実際に見ると驚く。その後さいとう氏のペンは、まるで白紙からゴルゴの顔を彫り起すように描いていく。
「さいとうたかをはゴルゴの目だけを描いている」という都市伝説めいたものは事実無根だった。さいとう氏自身がその噂をどこから出たのだろうとぼやいていた。
おそらく、さいとう氏が作りあげた協業体制がその噂を生むことになったのだろうが、その協業体制への指示の過程も番組では見ることができて、原稿への記号めいた書き込みから緻密な背景が仕上がってくるのだ。この辺りは映画の絵コンテなどによる作業に近い感じだ。さいとう氏は、ネームと呼ばれるセリフ、コマ割り、アングルなどを考え、主要人物を描き、最後に仕上げを行なう。
仕上げでもビックリさせられる場面があった。すでに出来上ったコマに、さいとう氏はサインペンやマッキーで擬音を一気に描き込んでいくのである。間違ったらとか、これでいいのかという迷いは無い感じだ。修正することもあるのだろうが、それでもあの様子には、さいとう氏にはすでに「見えている」感じがした。ゴルゴの顔を描く時もそうだが、さいとう氏にはイメージがもう見えているのではないだろうか。
 番組中、さいとう氏が描きながら口を動かしていて、浦沢氏にセリフを喋っていると指摘されるが、さいとう氏はそんなの意識したことない、と答える場面がある。そのさいとう氏の集中とその時さいとう氏の顔を内側から照らしていた輝きが、信じられないほど美しかった。
漫勉の再放送を希望。

「石の思い出」A・E・フェルスマン 著 堀秀通 訳 [感想文:その他]

 帯に「鉱物エッセイ」と書いてある。鉱物学者による鉱物゠石にまつわる思い出話である。
訳者あとがきによれば、著者は、1883年にロシアに生まれた著名な鉱物学者とのこと。その名を冠した鉱物博物館もあり、街の名前、山の名前にもなっているそうだ。
フェルスマンは中年の頃にロシア革命を経験し、働き盛りには鉱物資源開発によってソビエト連邦の鉱工業の発展に寄与したことになる。
そうした時代の影がこの本にも読み取れる。たとえば、科学アカデミーによる裏イマンドラ高地方面の学術探査に漂う使命感(「第九章 モンチャ」)、科学技術への楽天的な信頼(「第十一章 三つの大理石」)、社会のために働いた英雄的な個人への賞賛や、新しい社会、未来の称揚(「第十九章 石にたずさわる人々」)などなど。
この、時代の波頭を越えた上方で、石に魅入られた人の、何か忘れ物をしたような哀愁を漂わせる懐旧譚が語られている。
しかし、「珠玉」とかいう形容詞はあまり当らないだろう。鉱物学者による石にまつわるエッセイという珍しさが取り柄か。それでも、鉱物採集にまつわる恐ろしい話(「第五章 カラダーク火山で」)、宝石にまつわる人の心の話(「第十八章 二つの値打ち」)などはちょっと面白い。

「Me キャサリン・ヘプバーン自伝」キャサリン・ヘプバーン / 芝山幹郎 訳 [感想文:その他]

 マーティン・スコセッシ監督の映画「アビエイター」を観た。この映画にはキャサリン・ヘプバーンが登場する。レオナルド・ディカプリオが演じる主人公ハワード・ヒューズの恋人として、ケイト・ブランシェットが演じている。
映画は大変面白かったのだが、どうもケイト・ブランシェットの演技が気になってしまった。大女優の若かりし頃ということでそれなりの工夫もあったのだろうし、スコセッシ監督が意図するところを表現するための脚色もあったのだろうけれど、何か、キャサリン・ヘプバーンってこんな感じだったかなという疑問符が残ったのだ。
そこでご本人が書いた「Me キャサリン・ヘプバーン自伝」を読んでみた。
 ヘプバーンは1907年生れ。この本が出版されたのは1991年(翻訳は1993年)、ヘプバーン84歳の時だ。その後、2003年96歳で亡くなっている。この本は、80代の婆さんがゴースト・ライターの手を借りずに書いた回想録なのだ。そのため決して読み易くはない。まず、話がぽんぽんと行ったり来たりする。それから、ご本人にとって当たり前のことは説明されないので背景が見えてこないことがある。場所柄などが特に。また、当人も自覚していたようだが基本的に「私、私、私」の人なので、他人に対する観察がそれほど面白くない。
それでも、翻訳者による「キャサリン・ヘプバーンとその時代」という解説とヘプバーンの年譜、さらに「おもな登場人物と映画作品に関する訳注」という大変有り難いガイドがあるので、これらを頼りにすれば、ヘプバーンが語っていることに近づくことができる。
 そしてどうやら、キャサリン・ヘプバーンは活発な、あるいはじゃじゃ馬娘だった。それが演ずることに魅せられ、ハリウッドと映画の黄金期に成長し、努力を重ねて大女優になったのだ。我の強い、自立した人だったのだろう。プロらしく、自分の欠点も冷静に把握できていたようで、発声法を改善すべくチャレンジしていたという。
20年以上のパートナーだったスペンサー・トレイシーについての条りはやはり面白い。「全面的な献身」として語られるトレイシーに対する愛は陰影も深い。さばさばした性格が伝わる語り口が逆に、トレイシーが亡くなった後の寂寥感を感じさせるが、一方では、トレイシーがキャサリン・ヘプバーンの掌の上に乗っていたような気もしてくる。
ハワード・ヒューズとの関係も語られている。ここを読むとスコセッシ監督の映画がどんな脚色を施しているかが分って興味深い。ケイト・ブランシェットの演技はやはり再現ではなくて、別物と捉えたほうがよさそうだ。

「ヒトラーと哲学者」イヴォンヌ・シェラット / 三ツ木道夫・大久保友博 訳 [感想文:その他]

 ヒトラーとナチスに影響を与えた思想家、協力者となった哲学者たち、迫害されたユダヤ系の学者や思想家達、抵抗した大学人を描いたノンフィクション。
影響を与えた思想家としては、カント、ヘーゲル、ショーペンハウアー、ニーチェが登場する。協力者としては、ドイツの大学の多くの大学人がナチスに協力したとされ、特に、カール・シュミットとマルティン・ハイデガーに章が割かれている。ナチスによって大学を追われたユダヤ人たちとして、不幸な最後に終ったヴァルター・ベンヤミン、アメリカに亡命したテオドール・アドルノ、ハイデガーと愛人関係にあったハンナ・アーレントが登場。数少ない抵抗者は、白バラ抵抗運動に加わったクルト・フーバーが取り上げられている。
 ナチスと哲学者たちというくくりは面白い。著者によれば、「哲学はドイツの文化にとっては象徴的な存在」であり、哲学はドイツ人とその文化にとって「北米の人間が法制度に対して抱くのと同じような文化的地位を保持している。哲学者は名士(セレブ)」(p.10)なのだそうだ。つまり、少なくとも戦前のドイツにおいては哲学はメイン・ストリームにあって、それだからこそヒトラーはカント、ショーペンハウアー、ニーチェを引用し、哲人指導者であるように見せかけ、「彼は目の前にあったドイツの(伝統的な)成分を取り上げ、自家製の錬金術によって調合し、ドイツ人の口に合うカクテルに作り変えたのだ」(エルンスト・ハンフシュテンブグル)(p.53)そして、そのカクテルにはナショナリズムによる反ユダヤ主義、戦争賛美という毒が盛られていたわけである。
 だが、その毒はヒトラーの独創ではない。カントやショーペンハウアーにも反ユダヤ的な偏見・差別意識が存在し、ヒトラーが登場した頃には「ナショナリズム、反ユダヤ主義、または人種主義が、知識人の地位には不可欠になっていた。」「ドイツの気高い遺産の下には、この隠された、暗黒面が広がっていたのだ。」(p.95)
 しかし、この本のこうした文化史的な分析はここまでだ。すでに序章においてこの本のスタイルがドキュメンタリー・ドラマだと断わられている。それで、取り上げられる個々の哲学者達は、その思想よりもヒトラーとナチスに対してどう行動したのかに光が当てられている。ホロコーストという闇を背景にして浮かび上がるその光景はかなりスキャンダラスである。
 ヒトラーは政権を掌握し、大学からユダヤ人、ユダヤ系の学者を追放し、焚書、カリキュラム検閲を行って教育と言論の場を支配しようとした。『二十世紀の神話』を著したローゼンベルクとその腹心、ボイムラー、クリークがヒトラーの尖兵となってドイツの大学に対する全面戦争を仕掛け、それに勝利する。
国民を改造するというヒトラーとナチスの使命に対しては、「大量の大学人が集団で協力」した。「抗議文も、キャンペーンも、抗議運動もなかった。」「ヒトラーと党に対する重要な反対の声は、ドイツでは一度も起きなかった」(p.125)そのかわりに大学人たちは、ユダヤ人たちが追放されて空席となったポストに嬉々として着いたとされる。沈黙の裏には利害の一致があったと言うことなのだろう。
こうして殆どナチス化した大学人たち、プロの哲学者たちは「古い価値や制度の破壊」、反ユダヤ主義と戦争賛美に進んで協力するようになる。特に、哲学史に残る知的巨人ハイデガーには一章を割かれてあり、ユダヤ人として追放される側になるハンナ・アーレントとの愛人関係も描かれており興味深い。ナチスに入党し、フライブルク大学の総長となるハイデガーは、恩師であるフッサールがユダヤ人であるために名誉教授職を解かれるのに際して何も手をうたない。ヒトラーを礼賛する。こうしたハイデガーの行動を著者は「地位と権力に惹かれたただの日和見主義者で、ナチス支配の下で出世と威光を手にする機会を狙っていただけなのだ」、と書いている。しかし、さすがにハイデガーは難物だったようで、反ユダヤ主義との関係や、「彼と第三帝国との知的関係については曖昧ではっきりしないまま」と書いており、挙句、「行動を起したのは事実だ」(p.176)という結論になってしまった。
 戦後の光景もまたスキャンダラスだ。戦後、ナチスに協力した大学人の大半は裁判を回避して大学のポストに返り咲くのだから。追放されたユダヤ人学者たちは殆ど戻らなかった。また、彼らの業績に対する評価も、ナチス時代に抹殺されている以上、当然ながら正当になされたわけではない。しかし、協力者であった学者たちはナチスとの関係を「不幸な時代ということで大目に見られ」(p.350)、その業績が高く評価されている者もいるのである。
 さて本書は、ヒトラーに対する哲学者たちというより大学人たちに近いだろう。著者が哲学者たちというくくりに注目したのは、前述したようにドイツ文化における哲学の位置もあるだろうが、それよりも著者が「〈道徳学(モラルサイエンス)〉の子孫」(p.354)である哲学のプロが「ナチズムを拒絶したのだろう」(p.9)とナイーブに思い込んでいたところへ事実を知って、隠されていた秘密をあばいたと思い込んだからのようだ。
 しかし、哲学はそこからこそ始まるのではないだろうか。分析哲学の祖フレーゲのユダヤ人に対する差別意識という事態と、ハンナ・アーレントがアイヒマンの裁判で見出した「悪の陳腐さ」という概念を並べてみるならば、それについての何がしかの手掛かりがあるように思える。ドキュメンタリー・ドラマと自称している本書の範囲は越えそうだが。
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