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「浦沢直樹の漫勉 萩尾望都」NHK Eテレ [感想文:その他]

 漫画家の制作現場を目撃するシリーズ、第2シーズン1回目。
「少女漫画の神」と題されたのは萩尾望都氏。
 萩尾氏は、ご両親の反対を押し切って漫画家の道を進まれたそうだ。その反対が翻ったきっかけが「ゲゲゲの女房」のドラマだと言う。つい最近のことでは、と浦沢氏が驚くと、「ゲゲゲの女房」で水木しげる氏が一生懸命に漫画を描いているのを見て、娘の仕事を理解するようになったと、なんとも傑作なエピソードが語られる。
 萩尾氏の制作過程も非常に興味深いものだった。
カメラは例のごとく、漫画を描く萩尾氏の手元を凝視する。丁寧なあたり、下絵から、カリカリと刻み出すように描かれていく。そのスピードは決して速くはない。しかし、番組のサイトを見ると、浦沢氏との対談で放映されなかった部分があって、そこでは若い頃はもっと速かった、と語られている。筋力が衰えて、遅くなったそうだ。
「仕事は若いうちにししなくちゃいけない」(萩尾氏)
「漫画って筋力ですよね。若い人たちは、若い内に、みずみずしい線で、じゃんじゃん描いた方がいいよって」(浦沢氏)
「一生、その線は描けない。その線は20代の線、この線は30代の線、変わっていきますよね。」(萩尾氏)
(http://www.nhk.or.jp/manben/hagio/)
これらの言葉には漫画の線が生きていることの秘密の一端が語られているように思える。
 さて、衰えた筋力によって描かれる萩尾氏の漫画は衰えてしまったのだろうか。そんなことはない。画面に広がった絵は、艶さえ見せて、力強く、自由だ。休まず、弛まず、萩尾氏は描き続ける。手の表情ひとつに拘って、2時間も3時間も試行錯誤を繰り返す。観ている内に、どんどん言葉を失う。ずっと深いところで、より大きく揺さぶられるような感じがしてくる。
氏の代表作の一つ「ポーの一族」の原画が呈示されて、当時の印刷技術は原画に追い付いてなかった、と浦沢氏が語る。それだけでも驚きだが、萩尾氏が漫画の道を志すようになったのが、その未熟なメディアに載った先人たちの漫画だったことを思うと、深く深く心を打たれる。萩尾氏は、メディアの向う、それを超えた所にあるものを感じたのだし、自身もまた、メディアの向う、それを乗り越えることを信じて描き続けてきたのだ。その証拠に萩尾氏はこう語っている。「こういう物語の世界に、私は救われたし、とても楽しいと思う。そういった自分が感動したものを、(読者に)伝えたい。だけど、笑ったり、泣いたり、感動したりっていう、感情をゆさぶるっていうのは、非常に大変なことで、やっぱりこっちも必死でやらないと、伝わらないです。」(http://www.nhk.or.jp/manben/hagio/)
これは、奇跡だ。その奇跡は、いつも身の回りにある漫画の中に潜んでいたわけだ。萩尾氏が描く奇跡に、自分自身の読者の姿勢は釣り合っているかと反省させられる。読み飛ばし、消費するだけでは、萩尾氏の線に釣り合うわけはない。その深みに届くだけ読みとれているかを問わなければならない。
萩尾氏自身の作品と同じくらいにゆさぶられる放送だった。

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