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「浦沢直樹の漫勉 浦沢直樹」NHK Eテレ [感想文:その他]

 浦沢直樹自身による浦沢直樹の回。「BILLY BAT」の最終回執筆現場にカメラが入り、「ネームを入れる」作業も撮影されている。
気に入らない部分がざっくりとホワイトで消される。青鉛筆に持ちかえると、それで下書きをし、ペンを入れ直す。青い線は印刷されないので、都合がよいのだそうだ。このテクニックは、漫勉で他の漫画家が披露していもの。30年以上執筆を続け、一線にいるのみならず、代表作と言える作品を生み出し得たベテランなのに、使える工夫は取り入れようとするのだ。
これを浦沢氏の貪欲と言うこともできるが、そこには漫画の持つ性質も関係しているのだろう。浦沢氏はそれを「メソッドがない」と表現している。「メソッドがない」以上、工夫の積み重ねにならざるをえない。
「メソッドがない」を定型がないと言い替えられるなら、口語によって小説を書き出した小説家たちと現代の漫画家たちを並べて論じることができるかもしれない。
 しかし、小説以上に漫画は稚く、頼り無いくせに猥雑だった。何でも口にする赤子のように、ありとあらゆる物語に範を求め、真似をし、飲み込んで成長した。その成長を担った大樹のひとつは言うまでもなく手塚治虫氏である。その後、大友克洋氏が新しい時代を開く。番組では、その大友氏と手塚氏を結ぶ「ミッシング・リンク」として坂口尚氏、村野守美氏が引かれるのが嬉しい。
 さて、「メソッドがない」表現の現場で漫画家を待ちうけるのは、白い紙だけである。この白い紙を前にした恐怖は「漫勉」でも度々語られた。その恐怖を乗り越えて描かれたイメージが成り立つのを浦沢氏は「奇跡」だと言う。「奇跡」はもう一度語られて、それは「奇跡」によって定着されたイメージが他の誰かの手に渡り、それがその人に面白がられることなのである。
逃げ去る「奇跡」を掴まえるために、浦沢氏のペンは素早く走る。あるいは、「奇跡」のある場所を求めて、手探るように何度でも描き直す。そして、読者のもとでもう一度「奇跡」が起る。それは光よりも速く、一撃のもとに現われる。それによってがらりと世界が変ることさえある。
 だがそれは、何も高尚な目的によって起されるのではない。ただ描くのが楽しいから、面白いから、ワクワクするから描かれるのだ。そして、浦沢氏は8年続いた連載の最終回を描いた直後も、次を描くことを語る。体を酷使し、磨り減らしながらも。
なんということだろう。こういう人と同時代に生きられることを幸せと言わずしてどうしようか。浦沢直樹氏の漫画を読み直す必要がある。

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