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忘れじの面影 / マックス・オフュルス監督 (1948) [感想文:映画]

 1900年のウィーン、冷たい雨降りしきる明け方近く、決闘を眼前に控えたステファン・ブランド(ルイ・ジュールダン)の手に、見知らぬ女性からの手紙が渡される。そこには、ステファンを恋い慕い、人知れず彼の子を生み、ついには死にゆこうとしている女性の告白が綴られていた。

 手紙を読むステファン、そこにその手紙の文面としてリザ(ジョーン・フォンテイン)のモノローグが重なる。そのモノローグによって語られるリザの回想が、映画のシーンとして展開していく。回想は、リザとステファンの出会いから現在へと向かって進み、その時間の流れが最後に、手紙を読んでいるステファンの時間に合流するようになっている。映画の、層をなす構成の繊細さがまず目を引く。

 語られている物語は、リザの視点から描写される。リザは、ステファンの知らないこと、彼ら二人の間に本当は何があったのかを記すと語る。この、知っている/知らないという言葉は、幾度か登場する。それは、既に題名(Letter From An "Unknown" Woman)に含まれている。ステファンは知らないでいる人であり、リザは知っているのである。では、ステファンは何を知らなかったか。

 ステファンは、リザが誰であるかを知らなかった。
リザは、ステファンが引っ越してきたアパートに住む娘で、母親と二人暮らしだった。リザは、天才ピアニストであったステファンとその音楽に憧れ、程なくその憧れは恋へと変わった。親の勧める結婚から逃れ、リザはステファンと一夜を共にする。しかし、ステファンはリザを残して去り、彼女は一人で子を生む。最愛の息子だけを心の支えとして暮らすリザ。息子が9歳になった時、リザはヨハン(マルセル・ジュールネ)と結婚する。全てを受け入れてくれたヨハンと幸せな家庭を築いたかに見えたリザであったが、ある夜、オペラ劇場でステファンと再会する。ステファンは燃え尽き、音楽を捨てかけていた。リザは、彼を支えることが自分の宿命と信じ、夫ヨハンの制止を聞かず、ステファンの元へ走る。しかし、ステファンはリザを思い出さなかった。ステファンは、リザが誰であるかを知らないままだった。リザは失望し彼の部屋を去る。そして、運命の悪戯により息子をチフスで亡くし、自らもまた同じ病に倒れたのであった。手紙は、こう締めくくられる。「私があなたのものだと知ってくれたら、失う必要がなかったのに。ただ、知ってくれたら...」

 ステファンが知っていたらリザの非運は起こらなかったのだろうか。
ヴェールを重ねたようにいくつかの層からなるこの映画は、そのような単調な「正解」めいたものから逃れていく。リザの視点で語られながら、もうひとつの真実が描き出されている。それは流麗な演出によって達成されている。その流麗さは、自在に折り重なりながら、信じ難い文様を紡ぎだす花文字のようだ。そこに浮かび上がるのは、リザの物語をなぞりながらも、それを相対化する、より苦く深い真実である。
たとえば、それは、階段のモチーフで展開される。ステファンの胸に飛び込もうと、階段で帰りを待ちわびるリザがいる。そこへようやく帰ってきたステファンは、女を連れている。それを階上から見つめるリザを、カメラは背後からとらえる。次の階段のシーンは、儚く、甘美で、愛らしさも湛えた一夜のデートの果てに現れる。雪積もる遊園地からアパートへ帰ったリザとステファン。彼に手を引かれて部屋に入るリザを、階上からカメラがとらえる。この時、見ている側は、リザがステファンにとって、どんな位置にいる女であるかを理解する。
このことは、白薔薇のモチーフによっても描かれている。最初、ステファンがリザを認めたとき、リザに渡されるのは一本の白薔薇である。次に、彼女を思い出さないステファンに失望してリザが部屋を去る時には、白薔薇の花束が映されるのだ。

 ステファンは不実な男であり、リザはその男に己の純情を捧げたのだ。ステファンが、リザとは誰であるかを愚かにも知らないと同様に、リザは、己の幻想の姿を知らない。愚かな女と愚かな男の物語。そこには、物言わぬ運命の神によって裁かれる、ありふれた無知の罪しかないのだろうか。しかし、闇に浮かぶ白薔薇のようにリザの顔を輝かせた憧れは真実であったのではないか。リザが希ったのは、その真実が救われること。そのためには、一夜の彼女を思い出してくれればよかったのだ。しかし、それは想起である以上、あらかじめ現在から失われている。ステファンがリザとは誰であったかを思い出した時、既にそれは過去の幻でしかなかった。ステファンは、その幻にうな垂れる。類稀なる瞬間が、ルイ・ジュールダンのわずかな首の運動によって現れる。全てを知った時、ステファンを死に場所へと連れていく馬車が動き出し、映画の幕が降りる。


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江戸うっどスキー

とても、古い映画のようですね。
丹念に書かれたレヴューを読むと、観たくなります。
by 江戸うっどスキー (2007-09-19 11:07) 

mistletoe

こんばんは。
雪積もる遊園地、白い薔薇、白い薔薇の花束....
このキーワードだけでもそそられる映画です。
古い作品なんですね。
by mistletoe (2007-09-19 18:50) 

ymine

>江戸うっどスキーさん、 nice とコメントありがとうございます。
この映画が作られた頃には、同じようなメロドラマが多く撮られたそうです。
子供の頃、NHKの教育テレビで観て以来、「忘れじの」一本です。
(^_^;)
by ymine (2007-09-20 18:06) 

ymine

>mistletoeさん、nice とコメントありがとうざいます。
夜の遊園地でのデート・シーンは、ヨーロッパ出身の監督でなければ撮れないような雰囲気がある気がしますが、どうでしょう。(^_^)
by ymine (2007-09-20 18:10) 

ymine

> symplexusさん、nice ありがとうございます。
by ymine (2007-09-20 18:11) 

ymine

> DSilberling さん、nice ありがとうございます。
by ymine (2007-09-24 20:48) 

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